芸術が分からない「13歳からのアート思考」を読んだら理解できました

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小池都知事がバンクシーらしき作品と記念撮影したり、前澤友作氏がバスキアの作品を123億円で落札したり。どういうこと?と不思議に思う人、同じです。わたしも、高すぎるアート作品の価値(値段)が理解できませんでした。

 

「自分だけの答えが見つかる 13歳からのアート思考」は、

 

芸術作品の見方がわからない、よさが分からない、価値がわからない、バンクシーとか何なの、現代アートむかつく、そんな思いに、答えを出してくれる本でした。

 

ポイントは3つ。

  • アートは「作品」と「思考」に分けて考える
  • カメラ登場後は「アートとは何か」を模索している状態
  • 作品の見方は「背景とのやりとり」と「作品とのやりとり」

 

芸術が分からない「13歳からのアート思考」を読んだら理解できました

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筆者の末永幸歩先生は、「美術の授業で学ぶべきは、技術と知識ではなく、アート的なものの考え方」だと言っています。アート的なものの考え方って何でしょう?

アートは「作品」と「思考」に分けて考える

末永幸歩先生は、アートを植物に例えて説明しています。

 

地上に出た「花」が、アート作品。

地下の「種&根」は、作品が生まれるまでの思考のプロセス(アート思考)。

 

アート作品は「アート思考の上に咲いた花」ということです。

 

アート思考は「自分だけのものの見方で世界を見つめ、自分なりの考えを生み出し、それによって新たな問いを生み出す」ということ。

 

つまり、アート思考では、思考のすべてが自分基準になります。アーティスト側も、作品を見る側も、両方です。アート作品は好きなように見ればいい、自分の考えを尊重していい、みんなちがって、みんないいby金子みすゞ、です。

 

カメラの登場「今日を限りに絵画は死んだ」

カメラ登場前のアートの目的は「目に映るとおりに世界を描く」ことでした。

 

「目に映るとおりに世界を描く」ことに関して、人間がカメラにかなうわけがなく、19世紀の画家ポール・ドラローシュは「今日を限りに絵画は死んだ」という言葉を残しています。

 

そこで、アートにしか出来ないことはなにか、アーティストたちによる模索が始まりました。

 

14世紀のルネサンス絵画と、20世紀アートとの違いは、ここです。違うのは、「目的」です。

 

カメラ登場後は「アートとは何か」を模索している状態

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「13歳からのアート思考」では、6つの有名なアート作品を取り上げて、「アートとは何か」模索の歴史を説明しています。

 

アートにしか出来ないことは何か

実際に本を読んでみると、「アートの常識」が、アーティストたちに次々と覆されていく様子が描かれていて、まるで推理小説を読んでいるかのような爽快感を楽しめます。

 

クラス1から6までの授業形式で、段階をふんで、アートの正体が明らかになっていきます。玉ねぎの皮を、1枚づつ剥いていく感じに似てますかね。

 

最後に「アートって結局、何なのよ? 」という所にたどり着きます。

 

筆者の末永幸歩先生や、Momaのキュレーターさんの考えも載っていますが、アート思考を身につけた自分なりの答えが、正解なんだと思います。アート思考で考えると、数学のような絶対的解答はない、ということです。

 

現代アートの軌跡(ネタバレ?)

「13歳からのアート思考」で、主に取り上げられている作品説明の要約です。これだけ読んでも、推理小説のようなワクワク感はありません。が、ネタバレになってしまうかもしれないので、読みたくない方は飛ばしてください。

 

マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」
「目に映るとおりに世界を描く」という目的からアートを解放した
アートにしかできないことはなにか?マティスの答え

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ピカソ「アビニヨンの娘たち」
遠近法というこれまでの常識からの脱出
多視点でとらえたものを再構成するというピカソの答え

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ワシリー・カンディンスキー「コンポジションVII」
具象物を描くという暗黙の了解からの解放
人の心に直接響き、見る人を惹きつけるような絵を追求

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マルセル・デュシャン「泉」
「アート作品=目で見て美しいもの」という根本的な常識を打ち破った
アートを視覚の領域から思考の領域へと完全に移行させた

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ジャクソン・ポロック「ナンバー1A」
アート作品は「なんらかのイメージを映し出すためのもの」という役割から解放した
これによって絵画は、ただの物質でいることを許された

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アンディー・ウォーホール「ブリロ・ボックス」
「アート/非アート」の垣根を壊した
そもそも、アートとはなんなのか

 

現代アートの軌跡は、「技術向上ではなく、思考の軌跡」と言えますね。

 

現代アートは、「アーティストたちが、あれこれ試行錯誤してきた結果として、生まれた作品」ですから、作品だけを見て「何がいいのか分からない」と感じるのは、当然のことだと分かります。大切なのはプロセスでした。

 

アート作品の値段は「需要と供給」で決まる

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「13歳からのアート思考」には、「アート作品の値段」に関する話はあまり出てきません。

 

なので、この部分については、ビジネス的に見た、私的な見解になります。

 

あらゆる経済活動と同じで、アート作品の価格もほぼ「需要と供給」の関係で決まります。

 

モノが少ないのに、欲しい人が大勢いれば、値段は上がります。コロナで生産が追い付かなくなった、マスクや、Nintendo Switchの値段が高騰したのと同じことです。

 

本書に出てくる、マルセル・デュシャンの「泉」は、そこらへんの便器にサインをしてタイトルを付けただけの作品です。それが、2000年のオークションでの推定落札価格100~150万ドル(1~1.5億円)。

 

普通に考えたら絶対にいらないですけど、プロセスを見れば、「アートを、視覚の領域から思考の領域へと、完全に移行させた」重要で希少な作品です。小汚い便器に値段が付く理由は、ここにありました。

 

でも、億はやりすぎでは?会社の社長ってなんで高い絵とか買うの?って思いますよね。

 

ビジネス的に考えると、「企業の宣伝になるから」というのが1つの理由になります。

 

前澤友作氏がバスキアの作品を123億円で落札した時は、世界中で話題になりました。日本の一企業の社長が、世界にその名前をとどろかせた訳ですから、123億円なんて安いものです。

 

もちろん前澤友作氏が「アートが好きだから買った」という理由も大きいと思いますけども。結果的には、会社自体の宣伝をお金をかけてするよりも、ずっと手っ取り速い方法になりました。

 

アート作品の正しい鑑賞方法とは

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「13歳からのアート思考」では、アート作品の鑑賞方法について、筆者の末永幸歩先生の考えが書かれています。作品を鑑賞する時には「背景とのやりとり」「作品とのやりとり」の2つのやり方がある、と説明されています。

作品の見方は「背景とのやりとり」と「作品とのやりとり」

アートを、「花」と「種&根」に分けて考えることは、最初に出てきました。「花」は作品そのもの、「種&根」は思考プロセスです。

 

アート作品を鑑賞する時、「背景とのやりとり」と「作品とのやりとり」の2つの方法がある、本書には書かれています。

 

「背景とのやりとり」とは作品が生まれたプロセス、作者の思惑や、歴史的背景を知ることです。「種&根」の部分です。

 

作品の横に書かれた説明文を読んで、作品を実際に見て確認する。これはただの確認作業であって、鑑賞とは言えません。アーティストから与えられた情報を受け取るだけで、完全に一方通行です。

 

アーティストから投げかけられた問いに、自分なりの答えを持つことで、双方向のやりとりになります。

 

「作品とのやりとり」とは、アート作品を見て、自分自身の目線で感じ、考えることです。「花」の部分ですね。

 

「作品とのやりとり」では、作者の意図はまったく関係ありません。好きなように見ればいい、というのはこの部分です。ただ作品を感じる、共通の正解なんてない、それぞれ違った見方、感じ方をすればいいんです。

 

アート思考的な考え方をすれば、あなたがいいと思わないなら、それは「あなたにとっては価値がない」ということです。高額な絵画をすばらしいと感じなくても、ノープロブレム、モーマンタイです。

 

これは私の感想になりますが、アートの見方が分からないと感じるのはどうしてかと言うと、この2つをごちゃ混ぜに捉えてしまっているからなんだと思います。最初から「2つの見方」を分けて考えると、頭の中がスッキリした状態でアート作品を鑑賞できました。

 

以上、おおざっぱな要約になりましたが、ぜひ「13歳からのアート思考」読んでみてください。目からウロコが落ちまくること間違いなしです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。